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2012年5月29日火曜日

衍字。

この活字社会、誤字・脱字というのはときたま目にする。
ありがちなのが、「がんんばる」のように、ミスタイプによって余計なひと文字が入るパターン。
さて、こういうのをなんと言うんだっけ? と思いをめぐらしたところ、記憶の海から言葉を拾い上げられなかった。


んで、調べてみた。
「衍字」というそうだ。読み方は「えんじ」。校正用語らしいが、初見だった。


こうした余分な字に「字余り」という言葉を充てている例もあるけど、これは正確でない。
短歌や俳句など決まった定型がある文章の中でセオリーを外す、もしくは誤って多くなってしまったものを指す。「字足らず」という対義語があることからも分かるように、誤字・脱字の仲間にするにはちょっとニュアンスがズレる。


衍字に限らず、誤字・脱字というのは印刷や出版、広告など、活字に関わる世界では本ッッッ当~に付き物だ。何度チェックしても、ダブルチェックをしても、どこかに漏れが出てくる。

とくに、広告上でミスに気付いたときは、胃の下がキュッとなる。
以前、ある革製品メーカーの新聞広告で「おかげさまで創立20周年」というフレーズを見たことがある。他の行には「伝統」とも。20年くらいで伝統はないんじゃないかな? と思ったら、ほかの部分に1890年創立と書いてあった。
120年なら充分伝統を謳っていい。つまりは「1」が抜けていたということだ。こういうのを見ると、人のミスとはいえこちらの心臓に悪い。

自分も以前勤めていた会社で、取引先の社長の名前を間違えるという致命的なミスをしたことがあった。1月2日に大阪まで誤り……じゃなかった、謝りに行った。ミスが発覚したのは師走も押し迫った27日の事。あのときの正月は生きた心地がしなかったのを覚えている。

で、そうしたミスをすることで、以後は細心の注意を払うようになった。体が恐ろしさを覚えたということだ。立派に見える世の人たちも、何度となくこういう死にたくなるようなミスをして成長するのは、誰の口からも聞く。立派になるのは簡単じゃないな、と思う。

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