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2012年10月1日月曜日

《誇り》と《プライド》。

《誇りと《プライド》。この2つの言葉、同じ意味ながら、使われ方に差があるように思う。


プライドというとき、例えば「プロとして仕事にプライドをもて」というように、肯定的な意味合いで使われる場合だけでなく「あの人はプライドが高いから……」というように、否定的な意味合いを含む文脈でも使われる。
プライドには「小さなプライド」という意味をも内包しており、両価的に用いられるようだ。


「プライド」で辞書を引いてみる。
大辞林では【誇り。自尊心。自負心。】広辞苑では、これに加え【矜持】が入る。
《誇りと《プライド》、やはり意味するところは同じといっていいだろう。
けれど、《誇り》はそれ単体では肯定的な意味合いのみに使われると思う。《矜持》もそれに近い。
「自尊心」は否定的に使っていることも勿論ある。中島敦『山月記』では、非常に有名な「臆病な自尊心」というフレーズが出てくる。けれど、これは「臆病な」とわざわざ前に付けてのこと。
なぜ外来語としての《プライド》がネガティブなニュアンスなのか、ちょっとだけ不思議。

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